代表:青木宏人の人となり

戦略ブレイン 代表 青木宏人

(経済産業省 中小企業診断士登録404689)

趣味 将棋、スポーツ観戦
座右の銘 勝つまで戦う
自分への約束事 決めたことは最後までやり遂げる
尊敬する人物 イチロー(シアトルマリナーズ)

経歴

1972年 青木家の長男として高知県で生まれる。
1975年
~1985年
球技に打ち込んだ小学時代幼稚園時代から小学6年生まで手の付けられないヤンチャ坊主で、学校からの度重なる呼び出しがあり、母親に多大な迷惑をかける。勉強よりもスポーツが大好きな少年で、野球、少林寺拳法など体を動かす習い事に没頭する。ゆえに、当時流行していた、任天堂のスーパーファミコンなどの室内ゲームには全く興味を示さない少年期を過ごす。
1985年 中学1年の時に、足を骨折し、一時期スポーツができなくなる。そんな時に、叔父からのすすめで将棋と出会う。伯父に将棋で歯が立たない自分が許せなくて、本格的に将棋を学ぶため、徳島市八万町にあった『将棋道場 あばれ駒』(現在の臥竜将棋会館)の門を叩き、将棋の腕を磨く。
1986年
~1987年
伯父に勝つようになったものの、町道場は、猛者ぞろいの大人ばかりで当然のことながら負けが続く。そんな自分が許せなく、スポーツ好きの思いは封印して、将棋一本に没頭することになる。自分を高めるため、江戸時代の将棋名人の棋譜から現行の名人の棋譜までを深く研究することで、自分なりの戦法の勝ちパターンを探求する。気づけば、徳島県代表として、全国中学将棋選手権に2年連続出場するまでになる。
1887年 その反面、学業は全く疎かになる。当時は、将棋指しとしてプロを目指せるのではないか、という甘い考えを持つ。そんな折、徳島新聞社の企画で徳島県内の中学生チャンピオンと高校生チャンピオンが対決する大会で優勝を果たす。そのときのインタビューで「将棋の名門徳島県立城南高校に進みたい」と軽い気持ちで口走ってしまい、その発言が翌日の新聞に掲載されることで、精神的に追い込まれる。城南高校は進学校であり、当然のことながら担任の先生からは、『絶対に城南は無理』と一蹴されることになる。この一言に奮起して将棋は一旦休止し、学業一本に専念する。
1988年
~1990年
将棋に打ち込んだ中学・高校時代念願が叶い城南高校将棋部に入部する。徳島県代表として全国高校選手権と全国高校竜王戦の個人部に3年連続出場し、最高5位の成績を収める。この時期に徳島県内では、負けることが無かったが、全国で通用しないことに気づく。また、自分よりも数段強い仲間達がプロの門を叩き、挫折する姿を見ることで、社会の厳しさを身近に感じる。この体験を通し、将棋はあくまで趣味と割り切り、違う分野で自分の可能性を探るようになる。
1991年
~1995年
大学受験に失敗し、浪人生活を余儀なくされる。結果1年浪人生活をおくるものの大学受験に再度失敗。お世話になった予備校の勧めもあり、国際外語専門学校に入学する。外語専門学校で、異文化に触れながら、楽しい学生生活を過ごすとともに、アルバイトに精を出す。アルバイトは、水泳のコーチ、レストランでのウエイター、すし屋の店員、カラオケバーでのスタッフ、総合スーパーでの店員、警備員など数々の業種を経験し、仕事の楽しさとお金を稼ぐ難しさを学ぶ。
1996年~ 新卒として、遊技機メーカーに入社。精力的に営業活動を行い入社3年目に営業所内でトップの営業成績をおさめる。その後も新規顧客の開拓などを進め、自分自身が立てた評価指標に沿って、自己との闘いをストイックに続ける。しかし、自分自身の成績が良くても営業スタッフ全員の底上げができないと、会社に貢献できていないことに気づき、若干25歳の若造ながら、報酬制度の見直しや営業スタッフの情報の武装化などを会社に提案する。
1997年
~1999年
時期を同じくして、精神面と肉体面の両面から自分自身を鍛え治したい衝動に駆られ極真空手を始める。155センチという小柄な身長の不利を克服するため、肉体を徹底的に鍛え上げると決める。筋トレメニューを千代の富士の脱臼克服のためのメニューを参考にして、1日腕立て伏せ1000回とヒンズースクワット 500回、腹筋500回と設定し、忠実に実行する。1年後、極真空手西日本交流試合級位者の部に出場。1回目の出場は、2回戦敗退。2回目は、3回戦敗退。3回目は、1回戦敗退。試合の成績は良くなかったものの、精神と肉体面で自分を追い込み鍛えることができたので、極真空手を辞める。
2001年~ 遊技機メーカーでの営業成績は良かったものの、経営の観点から経営幹部に提案できないことや、お客様への提案内容に偏りがあることなど、無知な自分に気づき経営の知識の習得の必要性を感じる。書店で中小企業診断士の資格の存在を知る。その日のうちに、診断士の予備校の説明会に申し込み、妻を説得する。
2002年
~2006年
中小企業診断士の勉強がスタートし、平日4時間、土日10時間の受験勉強を実行する。仕事と勉学の両立を行いながら、1年でのストレート合格を目指すものの一次試験で撃沈。2年目以降は、一次試験はパスするものの、2次試験の厚い壁に阻まれ、不合格を繰り返す。2次試験4回目の挑戦で晴れて合格し、中小企業診断士となる。
2007年4月
~2008年3月
中小企業診断士の資格取得後は、中小企業診断協会大阪支部の知的資産経営研究会やバランススコアカード研究会に所属することで、経営支援の実務の習得と人的ネットワークを広げる。また時期を同じくして、興味のある分野の外部の有料セミナーに数多く参加することで、専門知識の習得に努める。一方の遊戯メーカーでの業務は、診断士試験で学んだ知識を生かして、後進への営業ノウハウの伝授を図ると共に、会社としてあるべき姿の提案を行う。
2008年4月 14年間お世話になった遊技機メーカーを円満退社し、経営コンサルタントとして独立開業する。独立初日に前職の遊技機メーカーの社長より、独立祝いの花が事務所に届く。感無量の想いと共に、いつか恩返しをすることを心に誓う。経営コンサルタントとして新たな挑戦が始まった・・・・・。